ニーチェの思想を学ぶ
「ニーチェ入門」を読んだ。
高校時代に倫理専攻だったため哲学者に関して多少の知識があったので、まだ良かった。
とはいえ本書の内容は(自分にとっては)かなり難しく、完全に理解するためにはヨーロッパの歴史や時代背景をそもそも把握しておく必要がありそうだった。
これ頑張って読んでいるんだけど、ヨーロッパの歴史やニーチェの著書について詳しく知った上で読むべき本だったわ。
— 柴田 和祈|microCMS (@shibe97) March 24, 2021
一次関数すら知らないのにいきなり微積勉強し始めてしまった感じ... https://t.co/QICLGYnBt8
ニーチェの思想について大まかには理解できたと思うので、メモ程度に書き記していく。
キリスト教の批判
「神は死んだ」はニーチェの有名な言葉だ。
主にこのキリスト教批判がニーチェが注目されるポイントなのだと思う。
キリスト教では「隣人愛」を説き、自分より他人のことを思いやることが善であると勧める。
ニーチェはこれに対し、下記のような考えを説く。
人間は誰でもまず「自分のこと」を考える。それが人間という生き物の〝自然性〟である。しかしまた、自分に余裕や力がある場合には「他人のため」に行為しうる生き物でもある。これもまた人間の存在の〝自然性〟である。まず自分のことを気遣い、つぎに他人を気遣う、これが自然な順序である。
今風に言えば、ひたすらにリアルを追求している感覚がある。
「神」のような曖昧な存在の一切を否定し、事実すら否定する。
ニーチェに、「事実なるものはない、ただ解釈だけがある」という有名な言葉がある。
これは、「客観」とか「物自体」とか「世界そのもの」とかいったものはまったく存在しない、ということである。
存在するのは、さまざまな人間が世界に対してさまざまな評価を行うというそのことだけである、と。
「解釈」とは、世界が何であるかについていわば任意の「物語」を立てることである。
人々の要求が多様であるのに応じて、「世界が何であるか」についての無数の解釈が存在する。
「価値評価する」という原理は「世界それ自体」のうちにはない。
「価値評価する力」は生命体だけがもっており、生命体は事物のように単に存在しているのではなく、たえず自分自身の身体の「保存・生長」をめがけて存在している。
ルサンチマン
本書に頻繁に出てくるルサンチマンとは何か。
それは、主に弱者が強者に対して「憤り・怨恨・憎悪・非難」の感情を持つことをいう。
人間は「不遇」や「苦悩」を生きることで必ずルサンチマンを抱く。〝弱い人間〟ほどその度合いが大きい。人々のルサンチマンは社会全体としては「欲望の相対性」として現象する。つまり、より劣った境遇にいる人間は自分より上の境遇にいる者に対して、いきおい恨み、妬み、羨みをもちやすい。逆に人の上に立った人間は、下にある者をみてすぐに自惚れたり傲慢になったりする。
ルサンチマンがあるが故に人間は「平等」を叫ぶ。
人間社会において強者と弱者が存在するのは当たり前であるため、そもそも「平等であるべきだ」という考え自体が間違っているという説だ。
現代社会においてはどこかしこで「平等」という言葉が叫ばれているため、それを根底から揺るがされた感じで衝撃を受けた。
では平等ではないということを受け入れたとして、どうすれば良いのか?
ニーチェはこのように述べている。
つまり、「弱者」にとってほんとうに重要なのは、自分より「よい境遇」にある人間に対して羨みや妬みを抱くことではなく、より「高い」人間の生き方をモデルとして、それに憧れつつ生きるという課題である。また「強者」にとって重要なのは、他人の上にあるということで奢ったり誇ったりする代わりに、自分より弱い人間を励ましつつ、つねに「もっと高い、もっと人間的なもの」に近づくように生きる。
非常に現実的で、正しく聞こえる。
ニーチェは、この目指すべきより高次元の姿を「超人」と呼んでいる。
人類の究極目標というものを考えて多くの人間はこう言う。それは万人のあるいは最大多数の最大幸福にあると。じつは違う。人類全体とか歴史全体とかは、まったく問題ではない(これは反ヘーゲル的な考えである)。問題なのは、どれだけ高い・非凡な・有力な「人間の範例(モデル)」を産み出しうるか、ということだ。
永遠回帰
常にこの世は同じ事象が繰り返されている。
世界のあるがままを「是認」することを通して、むしろそれを「肯定」するところにまで徹底すること。「是認」から「肯定」へと進む道として「永遠回帰」がある。
時間が逆行しないこと、これが意志の怨恨である。《あったところのもの》――意志がころがしえない石は、こう呼ばれる。そこで意志は、怨恨と不満に駆られて、もろもろの石をころがし、自分と同じように怨恨と不満を感じないものに対して、復讐を行なう。こうして解放者たる意志は、苦痛を与える者となる。
永遠回帰については諸説あるらしいが、自分は下記のように解釈した。
時間が後戻りしないことによる後悔は誰にでもあるだろう。
これが他人への恨みや妬み、つまりルサンチマンを生み出す。
そのためニーチェは世界が永遠に繰り返されていると説くことで、生の一回性を利用して世界と生そのものへ復讐しようとするルサンチマンの欲望を「無効」にする。
まとめ
ニーチェの言い分をざっくりまとめてみる。
- 他人ではなく、自分をまず優先しなさい
- 平等を叫ぶのではなく、皆が高みを目指して頑張りなさい
- 人間の欲望を否定するのではなく、これを認めたうえで世界に立ち向かいなさい
現代社会の道徳と全くの真逆で面白い。
人類全員が己の欲望を開放してしまっては確かに世界は崩壊してしまうかもしれない。そのための規範が現代の道徳だろう。(キリスト教や仏教も含め)
しかし現代社会には欲望に対して少々行きすぎた「抑圧」の雰囲気がある。
ニーチェは欲望を「抑圧」するのではなく「是認」し、欲という力を上手く利用すべきと言ってるのではないか。
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哲学は難しい。
世の中の技術は進歩するが「人間」の中身は時代を経ても変わらない。
そういった意味で、哲学は後世までずっと語り継がれる学問なのだと思った。