父の言葉
ふと振り返ってみると、実は父からほとんど褒められた記憶がない。
別に厳格な父というわけではなく、どちらかというと、父は我関せずで自分の人生を謳歌しているタイプだ。
創業した会社をM&Aするという人生の一大事を成し遂げた際もこの反応である。
父親にM&Aのことを伝えたら、
— 柴田 和祈|microCMS (@shibe97) May 11, 2024
「おめでとうございます。目指せ大谷君^_^」
「高級車や高級腕時計等は購入しないで、普通の生活を続けましょう!^_^」
あっさりし過ぎw
助言としては素晴らしいが、一言「すごいじゃん」と褒めて欲しかったというのが本音である。
後日、親孝行も兼ねて両親に旅行をプレゼントし、一緒に行く予定を立てていた。
そこで会社のことなど、色んな話をしようと思っていた。
そんな矢先、ちょうど旅行の2日前に母から連絡があった。
「お父さんが死んだ。」
一瞬何を言っているのか理解できなかった。
父の友人と伊豆諸島の式根島に旅行中での水難事故だった。(旅行の2日前に旅行するな!)
まさに寝耳に水の出来事だった。
自分も翌日には式根島に船で移動し、遺体搬送・火葬など本当に大変なことだらけだった。ここについては書き始めるとあまりに長すぎるので割愛する。
式根島はとても綺麗な島だった。
そして先日、四十九日も終わり、相続関連も半分くらいは終わった。
バタバタしている中で「死」について考えることが増えた。
人は突然死ぬ
あまりに予期していなかったので、周りはもちろん、父本人もビックリしたことだろう。
そのため、もちろん生前整理などされておらず、相続関連がとにかく大変。
自分も仮に明日死んでしまっても大丈夫なように準備はしておくべきだと感じた。
ニュースでも最近は車関連の事故が多い。高速道路の逆走など。
何事に対しても、もしかしたら死ぬんじゃないか?という恐れが以前より強くなっているのを感じており、旅行などで遠出するのに車もあまり使わなくなってしまった。
死は誰にでも訪れる
人は最終的には必ず死ぬ。
そのタイミングが早いか遅いかの違いでしかない。
そう考えると、極端に悲しむ必要はないのではないかと思えてくる。
自分の年齢が上がるにつれ、自分のまわりの人々の年齢も上がっている。
そして自分も含め、いつか全員死ぬ。
結婚ラッシュならぬ、葬式ラッシュがそのうち来る。
自分もそろそろだな、と覚悟を決める時が来るのだろうと予想できる。
たぶん自分の親世代が今まさしくそんな感情を持っているのではなかろうか。
死んだ後は?
「無」だろう。
死んでしまったら現世には関与できない。
当たり前だが、死は回避しないといけないという気持ちが強まった。
生きているうちにやれることをやろう。
老後のために資金を貯めるのも大事だが、老後まで生きている保証など、どこにもないのだ。
加えて、自分の子供たちなど、次の世代の命をしっかりと守ることも本当に大事だと考えさせられた。
父の死については案外すぐに受け入れられた。
完全に人生を謳歌しているタイプだったので、ある意味、父らしい最期だったと思う。
しかし、父と話す機会はもう二度と訪れない。
そこにだけモヤモヤが残る。
父が亡くなった後、父の友人からいろいろと話を聞くことができた。
「いつも子供たちの写真を自慢げに見せていたよ」
「あなたがご長男ね、よく話は聞いていたわ」
「カズキがいれば大丈夫とよく言っていたよ」
そうか、お父さんは、ただシャイなだけだったんだね。
少しだけ報われた気がした。